東海銀行 東京オリンピックプラ製貯金箱(1964年)
1964年に東京で開催された、東海銀行の「東京オリンピック」プラ製貯金箱です。1940年(昭和15年)志那事変が始まり、夏季大会の開催権を返上した東京は、1954年(昭和29年)に1960年(昭和35年)夏季大会開催地に立候補しましたが、翌1955年(昭和30年)の第50次国際オリンピック委員会(IOC)総会における投票でローマ(ローマオリンピック)に敗れました。次に1964年(昭和39年)夏季大会開催地に立候補し、1959年(昭和34年)5月26日に西ドイツのミュンヘンにて開催された第55次IOC総会において欧米の3都市を破り開催地に選出されました。このオリンピックでのハイライトは、開会式・重量挙げフェザー級で三宅義信の優勝・水泳競技でドン・ショランダーの金メダル4個獲得・体操女子個人総合でベラ・チャスラフスカ( 2016年8月30日、すい臓がんで死去)の優勝・陸上競技マラソンでアベベ(1973年10月25日に、脳出血で死去)の優勝、史上初の連覇。円谷幸吉(1968年1月9日死去、自殺。切なくも美しい遺書が有名)が銅メダル・ボクシングのバンタム級で桜井孝雄( 2012年1月10日死去、食道癌)が初の金メダル。ヘビー級はジョー・フレージャー(2011年11月7日死去、肝臓癌)が優勝・閉会式など見どころが沢山あった大会でした。東京オリンピックで採用されたポスターは、オリンピックポスター初の写真ポスターです。このプラ製貯金箱に使われているのも、そのポスターとなります。貯金箱の状態は、少々汚れがありますが、時代相応という感じです。
東海銀行は、1941年(昭和16年)に、愛知銀行・名古屋銀行・伊藤銀行(伊藤財閥)の3行が合併して設立されました。中京圏に本店を置く唯一の都市銀行でした。全般的には都銀中位行で推移し、またバブル期(バブル時代・バブル景気)の東京進出も不良債権を築き上げただけの結果に終わっています。その後、都銀各行がメガバンク再編に向かう中、2002年1月、三和銀行と合併し、株式会社UFJ銀行となりました。
銀行資料
戦前 - 在名3行の合併
愛知銀行は、尾張徳川家に関係の深い豪商・素封家の発起により、1896年3月に第十一国立銀行(1877年4月設立)と第百三十四国立銀行(1878年11月設立)の2行が合併、両行の営業を引き継いで設立されました。1914年から1918年の間に、関戸銀行・一宮銀行・東美銀行・大垣銀行・北方銀行・枇杷島銀行を合併しています。
愛知銀行は、尾張徳川家に関係の深い豪商・素封家の発起により、1896年3月に第十一国立銀行(1877年4月設立)と第百三十四国立銀行(1878年11月設立)の2行が合併、両行の営業を引き継いで設立されました。1914年から1918年の間に、関戸銀行・一宮銀行・東美銀行・大垣銀行・北方銀行・枇杷島銀行を合併しています。
名古屋銀行は、1882年7月に名古屋区長吉田禄在の呼びかけで、有力実業家10人の発起により設立された。1907年からの10年間に、津島銀行・笠松銀行・金城銀行などを合併しています。
伊藤銀行は、名古屋の富豪伊藤家の金融事業(個人経営の伊藤為替方)に端を発し、1881年6月、名古屋最初の私立銀行本店として設立されました。いわゆる伊藤財閥の中核として機能していました。1938年と1939年に中埜銀行・知多銀行を合併しています。
- 2017.09.17 Sunday
- 銀行・金融・保険系貯金箱
- 10:30
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- by 荒神乃庄そして酒遊